バーガンディミストの空に憧れて

思考の整理と未来の自分への助言

目を背けるということ。

森田療法のその後

心気症に対する森田療法=「湧き上がってくる不安をそのままにして、それにとらわれず自分がすべき事を行うこと」を実践して3週間が経った。

3週間前は不安症状が大きく、とても趣味などに手が付く状態ではなかったし、暇さえあればネットで病気のことを調べようとしていた。

とにかくネットから入る情報を遮断するため、ネット検索を気になってもしないようにし、脳が「俺今めっちゃ不安なんすよ!なんとかしてくれませんか!」と訴えかけてきても、その気になることの次に自分がやりたいことをとにかくやることにした。

 

すると1週間後に気になることを考えることが億劫になり、

2週間後に気になること自体が面倒くさくなり、

3週間後の現在その事をほとんど考えることもなくなった。

 

フッと不安が頭の片隅に隠れていくような体験をしたことはとても大きかった。不安を取り去る行動をしないほうがむしろ不安を抑制するという逆説のような効果は本当に驚きである。

 

目を背けるという強さ

最近よく、精神的に健康な人と言うのは様々なことに対して目を背ける事を選択肢に入れることができ、それを時に選択して行動している人なのかなと思うことがある。

自分が抱える心気症に関してもそうだが、歳を重ねていくたびとても直視することが苦しい現実に直面する場面が増えてくる。それは自分自身の事だけじゃなく、例えば自分の友人や親戚など自分以外の人の近況に一喜一憂したり、自分の外からの要因もある。

 

誰だって「貴方はなんのために生きてるんですか?」なんて質問を突きつけられ、それを答えないといけない状態に陥ってしまうと精神を病み気が狂いそうになるだろう。だがそれに似た場面は少なくとも自分の周りにいくらでも転がっている。

 

・〜さん家はもう子供も出来て家も建てたんだってさ〜!という他の家庭事情をぶつけられる家庭ハラスメント。

・〜はバンドも充実してライブもすっごくやってるみたい。それに比べて自分は。。。という自分のおかれる環境と他を比べて感じる失望。

・昔東京に住んでいた頃は友達とたくさん遊べたしライブも行けたのになぁ。という過去と今を比較することで感じる辛さ。

 

正直これを真面目に考え始めると本当にひたすら辛い。特に歳を重ねると自己を絶対的でなく相対的に評価してしまう事が多くなる。それが更に悪化すれば自分が幸か不幸かという議論まで行き着いてしまう。それこそ不幸の沼に足を突っ込んでるようなものだと自覚できずに。

それを直視せず乗り越えるために人は「目を背ける」という行動に移るのだろうと感じる。そりゃ目を背けっぱなしではいけないが、見るものは見る、それ以上直視すると自分に害があるものは目を背けるというバランス感覚が重要になる。このバランス感覚を持っている人はこういった悩みに関しても、「自分はこうだからこれでいいんだ」という答えに行き着くのが早いのだろう。様々なことから目を背けるということは自分を絶対的に見ることだと思う。

 

もう一つ、自分が幸か不幸か考える暇を自分に与えることが問題であるとしたら、その時間を作らないように行動する、という事も目を背けるという行為が作用した結果であると感じる。私生活を忙しくすればそういった議論を脳内で繰り広げる必要はなくなる。それが故にそういう悩みや不安は頭の片隅に霧のように隠れていく。

これは心気症に対する治療法である森田療法に通じる部分でもある。

 

言葉の副作用と言えばよいのか、「目を背ける」とか「逃げる」という言葉は非常にマイナスイメージが強く、過去のガチガチに固められた義務感を受け継ぐ日本の社会では受け入れられ難く、若い人でも親からの教育もあって無意識的に良くないものだと思っている人も多いはずだ。

目を背けたり逃げたりすることはそのものの行為が良くないのではなく、それを自分の行動の選択しとして持ち、自分の心身が危機に陥ったときは積極的に選択できることが精神の健康と直結しているように感じる。

 

物事に目的を見出すという行為は場合によっては薬になるし場合によっては自分の精神を脅かす毒にもなる。それを頭でわかっているのにそれを考えてしまうのは人間らしさ、人間臭さなのかもしれない。でもそれに屈して病的になっていては、なんか勿体無いんだよねホント。

 

自分は人生に対し何かをやり遂げる!とかそういうバカでかい目標を立てたら潰れてぺちゃんこになってしまうから、日々を何とかやり過ごしてヒイヒイ言いながら生きてますってスタイルのほうが合っている。他人でもそういう泥臭い生活をしているなって思う人を見ると心が温かくなる思いがする。

 

自分が行動することだけでなく、考えることもあらゆる選択肢があって、そのどれも自分の意志で選べることをいつでも忘れずにいられたら、きっともっと精神的に健康に生きることが出来るんだろうな。