バーガンディミストの空に憧れて

思考の整理と未来の自分への助言

焦燥感

ここ最近、メンタル的にも調子がとても良く、いい時って頭の中の回転が一定の安定状態を保つことができて、整理整頓もその都度できるからブログに書きなぐる、ということが割合として減るがそれはそれとしていいことかなとは思う。

 

焦燥感とその理由

自分の頭がある程度のコンディションで回ると、やりたい事、やってみたい事が自然と湧き出てくる。幸いにも今年はずっと待ち望んでいたバンドをやる、ということにも恵まれて現在2つのバンドでギターを弾けている状態。(ここ8年で就職当時バリバリやってた時に比べると次いで頻繁にスタジオに入っている気がする。)

 

だが、そういった欲が自分の中に出てくると、同時に焦燥感も現れて自分の頭の中を占めることになる。学生の頃バンドをやっていたことは持っていなかった感情に思う。

生きているうちにやりたい事をやらなきゃ、とかそういった漠然とした不安に対する焦燥感はそこまで多くない。それよりも自分にあるのはもっとリアルなものだと感じている。

 

まず一つ目は「いつまでこの仲間と一緒にやれるかわからない」という焦燥感である。

就職して学生の頃よりお金の自由が効くようにはなったが、時間的な制約、仲間との制約に悩まされることが多くなった。バンドメンバーが転勤したり環境の変化で楽器をやる気力を失ってしまったり、折り合いがつかなくなったり。「ずっとこのメンバーでバンドをやっていくんだ」ということが実は現実的じゃない、ということをこの8年で思い知らされた。

メンバーが一人抜けるとバンドのバランスが大きく崩れ、最悪そのまま空中分解を起こす、ということはバンドマン誰もが経験していることだと思う。そしてそのメンバーが抜ける、という確率は歳を重ねれば重ねるほど指数的に上昇していく事を感じている。

それこそ自分が住む九州の田舎なんてバンド人口もたかが知れている。その中で同じ音楽を好み一緒にやろうと握手できる人間が、一体どれだけいるだろうか。そう考えると今バンドに居るメンバーの貴重さを痛感するし、それを失うことへの不安は取り去ることができない。

 

二つ目は「自分の今後の生活の変化で音楽をやれなくなるかもしれない」という焦燥感である。

家庭を持つ身としてはきっと音楽をやっている場合ではない時期、というのが間違いなくやってくるし、それは一緒にやっているバンドメンバーもそうだが、それに対する不安は拭うことができない。なんとか続ける方法は模索し続ける必要があると思うが、一旦辞めてしまったあと再度同じメンバーで同じようにやれる保証なんて誰もわからないのだから。

 

こういった焦燥感があるからこそ、いかに「今」が大事かを散々突きつけられてきたが、それでもやっと、やっともう一度バンドをやる、というところに行き着くのが本当に時間がかかってしまった。

一人でやる、ということも何度も考えた。そのために環境を揃えようと躍起になったこともあったし、今でもよく考える。今後色々移り変わりゆく環境の中で自分を守り、何かを遺すために音楽を続けるには、一人でできるようにならなければ、という気持ちは確かにある。

それでも「誰かとバンドをやる」事にこだわるのは、大学の時自分を高めてくれたバンドのその雰囲気を味わったからこそだし、人と音楽を作る楽しみを知ったからという理由が大きいのかもしれない。自分は幸いにも周りに才能あふれるコンポーザーがたくさんいて、一緒にやれる機会を貰うこともあった。同時に凄く好きな音楽を作るのに自分の力不足で折り合いがつかず出来ずじまいになった人もいた。

自分自身の性格もあるのかもしれないが、自分自身が音楽を生み出すことよりも誰かが作る音楽に華を添えたい、それも自分にしか出せない色で。という想いが強い。元々人間が好きというのもあるだろう。

音楽を作ってる数多くの友人の生き様の美しさ、儚さ、醜さ=人間らしさを知っている。それを見届けそのとなりでギターを弾くことが出来ること、それが自分にとっての音楽人生の至福の瞬間なんだろう。

 

これからやりたい事のメモ。

・今やっているバンドでライブをやること。

・来年、大学時代やっていたバンドを一日だけ復活させて、自分が大好きなインストバンドを招いて熊本でイベントを開くこと。そこで力尽きるほど轟音をかき鳴らしたい。

・最近出会ったシューゲイザーガールとユニットをやりたい。

 

人との出会いで生まれる焦燥感の美しさ

自分が抱く焦燥感はすべて人間との出会い由来なものであり、人との出会いがあってその別れが怖くなるから生まれるようなものだと思う。

自分が生きてきた32年間で、「この人は間違いなく自分の人生の価値観に大きな影響を与えてくれ、その生き様をずっと見ていたいな。」と思う人に何人か出会ってきた。その大半が今音楽をやめてしまっているけど。本当は出来る範囲でいいからまた見せてほしいな、と思うのが正直な気持ちだ。

美しさ、というのは見た目だけのものじゃない。その人が日々悩み苦しみ、もがいて生み出す表現、にじみ出てくる言葉、そこに人間的な美しさを感じる。これはその人への興味でもあり、自分には絶対にない、絶対になれないという絶望から生まれる無い物ねだりな憧れでもある。

自分がそういった人の隣でギターを弾くことの意味は、きっとその美しさに少しでも触れたいという気持ちを満たすものなんだろうなと思う。

そういう出会いが今でもあることは自分にとって大きな救いだと思う。だからこそ焦燥感は生まれるし、それがエネルギーにもなる。

 

自分が憧れる人の隣でライブハウスのステージでギターを弾く自分の姿を思い浮かべながら今日もジャズマスター片手にBig Muffを踏む。それがずっと続くといい。